キスマーク。と一般的に呼ばれる、相手の肌に吸いついて残す鬱血跡。これはつまり、疑心や嫉妬の象徴なのだ。所有の証を刻み安心を得て、相手を誰の元にも行かせない為の。 嫉妬。世間に背いてまで、愛する人とふたりきりで生きてきた僕には遠い感情のように思えたけれど。 鎖骨の下あたりにくっきり残された、浅黒い肌に際立つ赤い鬱血。おかしいな。前に見た時はこんなもの無かったのに。服を剥ぐ手を止めると、跨られた悟浄はゆっくりと目を開け気の抜けたように言った。 「何? どした?」 「……やっぱり今日はナシってことで。そういう気分じゃないんで」 ぱっと突き放してそっぽを向くと、放置された彼の表情が目に浮かぶよう。でも、いつもの意地悪とは訳が違う。本当に「そういう気分」じゃなくなってしまったから。 腕に縋りつかれ振り向けば、捨てられた子犬のように寂しげな、それでいて物欲しそうに熱を帯びた、真っ赤な瞳が僕を見つめた。 「ここまで煽っといてソレはないっしょ、八戒さん?」 普段ならこのまま更に粘って放置して放置して放置して十二分に焦らした末に、気分によって優しくしてみたりキツくあたってみたりして遊ぶところ、だけど。 「何期待してるんですか? ナシって言ったでしょう?」 今夜は、ばっさりと言い捨てた。すると悟浄は不服そうに唸って僕を見やりつつも、ずり落ちた肩紐を元に戻した。 「そ。んじゃ、おやすみー」 そう言ってソファから立ち上がる。案外あっさり諦めたものだ、と複雑な気持ちで見送っていると、 「!」 不意に、軽く触れるようなキスが降ってきた。 こういった動作は本当に速いというかこなれているというか、やたらと巧くて時々困る。 「……バカ」 唇を離すや否や寝室へ消えてゆく後姿に、聞こえない声で呟いた。本当に我慢ならなくて余裕が無いのは、どっちだと思ってるんだか。 一番小さい電球が点いたままの部屋は、ほんのりと明るかった。 軽く突いたり髪を引っ張ったりして、どうやら本当に寝たらしいことを確かめる。耳元でまた「ばか」と悪態を吐いて、タンクトップの布をずらした。当然ながら同じ部位に、自己主張の権化の如き噛み痕。 「どこの女性に貰ったんです?」 きっと顔も名前も覚えてないんでしょうけど。残されたことすら知らない様子でしたし。 睨みつけたその跡の真横に、舌をあてて吸いついた。唇を離してみれば、そこがほんのりと赤く染まっている。ぽつぽつと浮き出たふたつの紅い印が花弁のようで。もっともっと身体中に沢山散らせたら、きっと美しいだろうな、なんて思ってしまう。 胸に、首筋に、二の腕の内側に、点々と痕を増やしてゆく。目立つ首許に強く吸いついたのは、戒めを込めた意地悪だ。こんなところにあれば女性からも敬遠されるだろうと。 「だから、ねぇ悟浄……もう」 そこから先は言葉にならなかった。 こんなことをされているとは露知らず寝こける姿が、憎たらしくも愛しい。朝になって目覚めたら、後悔と反省に悶え苦しんでしまえばいいのに。 悟浄は顔を洗った後、洗面台の前でたっぷり五秒はフリーズした。 あれぇ、とか、おっかしーな、とかブツブツ言いながら、ちらと僕を振り返って恐る恐る口をきく。 「……なぁ、八戒、まさか」 無言で思いきり微笑み返してやったときの、彼の表情といったら。 それから悟浄は目が合う度、許してくれと言わんばかりの何とも情けない顔をした。 あぁ、そうだなあ。一日家に居て家事を手伝ったら許してあげようか。 そう、ずっと僕とこの場所に居て。外に出ることも、他のヒトと遊ぶことも無く。 「……本当、バカ」 二人分のコーヒーを淹れながら、思わず呟いた。 今度は彼にではなく、甘ったれた嫉妬に苛まれている自分に向かって、かもしれない。 2012-07-02 |