「なぁ」
 左の耳たぶを撫ぜる息混じりの声に、八戒は一瞬固まった。旅から帰って新調したばかりの、まだ硬いソファーの上。熱心に観るでもなく深夜番組を点けたまま、別段甘い雰囲気を作るでもなく寄り添っていたら、左に座る悟浄から唇が触れた。
 そして少し熱っぽい眼差しで「しよう」と誘って――「ソレを外して」と、強請るのだ。
「……どうして?」
「なんとなく。もう問題ねーんだろ」
 確かに、もう大方の妖怪は妖力を垂れ流したところで直接の危険は無い。が、普段制御しているぶん解き放てば軽いオーバーフローを起こしうる。そうでなくても爪が伸びるし安全は保証できない。そして、態々あの姿を望む理由なんて限られる。恐らくは八戒の操る蔦による拘束、緊縛。
「もしかしなくてもドMなんですか」
「うっせ」
 ぱちん。肯定も否定もせず、悟浄はカフスをひとつ外した。
 八戒自身、迷うところではあった。その力で時に窮地を凌いではきたが、未だ妖としての自分を快く受け入れられる域には達していないのだ。
 また、ひとつ。からんと乾いた音を立てて床に落ちる。
「……貴方が望むなら」
 自分の全てを悉く受け止めたがる、どうしようもなく健気で欲深いひとに免じて。

 八戒は悟浄の手首を制し、最後の箍を自ら外した。
 金属のぶつかる音と共に、一瞬で耳の形が尖る。そこから浮き上がった深緑の蔦が、ばあっと身体中に拡がる。紋様の形をとって現れるそれは、しかし確かに実体を持っている。長い爪を持つ手がいつもより慎重に伸ばされると、触れたところから伝染るように蔦が這う。揃いの模様に絡めとられ、悟浄は満足げに、不敵に笑ってみせた。
「……もっと、キツく」
 余裕そうな表情にそぐわない「お願い」に、八戒の心臓が大きくひとつ跳ねた。同時に、弾かれたように勢いよく蔦が走る。
「ッ、」
 刹那、その顔が歪む。汗が一筋つたって、頬に触れる八戒の掌に滑り込む。締めつけが強くなって、とうとう力の抜けた悟浄は仰向けに倒れ込んだ。走る蔦はあっという間に悟浄の身体をソファに縛り付けてしまう。一本、また一本と発せられ食い込む度、その身体がびくつく。
 健康的な浅黒い肌に緑の紋様が広がってゆく、ある種病的で恐ろしい光景。しかし当事者の表情に浮かぶのは苦痛ではなく寧ろ、
「ん……なんか、安心する」
「悟浄の変態」
「おい」
「……でも嫌いじゃないですよ、そういうの」
 八戒の口の端が吊り上がる。琥珀の目が光る。じわりと支配欲の滲む、少しこわれた微笑み。覆い被さられた悟浄も、そんな友人を見上げて呆れたように笑う。
 扱いづらいその手に焦れたように、八戒は爪を器用に立てて自分のシャツを切り裂いた。次いで悟浄の服を剥ぎながら、顕れた皮膚を隈なく舐め回すように、わざとゆっくりと蔦を絡める。腕を、腹を、やがては脚を、触手の如く這い回り、蠢き、侵す。
「つッ……は、ぁ」
 ぴったり重なった火照る身体。強く掴まれた腕から、暖かな感触と共に流れ出す血。徐々に一点を目指し、ジーンズの中へ伸びだす蔦。その身体を余さず使って包み込むような感覚が、悟浄の空虚を満たしてゆく。
 唇が激しくぶつかった。貪りあう口の中で錆びた鉄の味が混じる。獣の歯が、悟浄の唇に噛み付いた所為だ。するすると、ジーンズの中の蔦は順調に奥へ侵入する。血の匂うキスに捕われた身体のナカで、細い蔓と葉が容赦なく暴れる。上がる息も漏れかける声も、八戒の口の中で潰えてしまう。
 身動きを止めて奥深くまで犯す鎖に、悟浄は表情だけで抗う。それがまた、獣を無闇に煽る。
「っぷは……はっ、かい、これでイクのは、ヤダって……ッひゃ、ん!」
 軋む身体にまた一筋、入り込む。絶えず交差して出入りを繰り返し、あちこちを丹念に掻き混ぜるそれに、悟浄は歯を食いしばって耐えている。
 辛うじて動いたふるえる右手が、八戒のジッパーに触れた。
「っあ、だから……なぁ」
「『だから』何です? はっきり言って下さい」
「…………挿れ、ろ」
「……よくできました」
 計画通り、と言わんばかりに八戒は口許だけで笑った。蔦だけで事を済ませるのを悟浄が嫌がるのは、最初から読めていたのだ。承知の上で追い詰めて、あちらから乞わせようとした。
 八戒は拘束の甘かったところを強め、残るジーンズをずらした。自分の証だけを纏った、完全に支配下に置かれた彼の姿が、独占欲を満たしてゆく。準備もそこそこに押し込めば、慣れた感触に悟浄は安堵したような溜め息と僅かに甘えた声をあげた。譫言のように名前を呼び、この上なく素直に八戒を求める。
 繋ぎ目の間を蔦が滑って擦れ合うと、浮いた腰が一層びくびくと揺れる。奥まで挿れずに止めたソコから、また何本かが放たれた。絡まりながら気紛れに内側の壁を這う。どろどろになって今にも果てそうな悟浄を、八戒はどこまでも焦らして緩慢に蔦を踊らせ、じっくりと弄ぶ。
「ひぅ、あッ、ん……っあぁ、ぁ……」
 どんなに厭そうな顔で身を捩っても、半開きの口から掠れた声が零れる。
「ん、も……や、らぁ……ッ!」
「っは、ァ……そもそも、貴方が言い出したんでしょう?」
 見上げる悟浄の顔は熱をもってぼうっとしている。言葉がどの程度通じるものか。
 勃起したまま放っておかれた可哀想なモノを目下に見て、八戒はまた意地悪を放った。表面に幾重にも絡みつかせ、先端の小さな穴からひとすじ潜らせる。柔らかく小さな葉が狭いその管をいっぱいに満たし、内側を撫でて。更に抜き差しを繰り返せば奥から止め処なく溢れ、背徳的な籠った水音が立つ。
 主の意のままに動き回るそれは全身の表皮をそろそろと這いながら、同時に二箇所の「内部」では絶え間なく伸び、縮み、分かれ、掻き回し――悟浄の奥はめちゃくちゃに疼いて、堰を切ったように蕩けきった嬌声が溢れ出す。壊れかけたあられもない姿に、八戒は堪らず顔を寄せて口づけた。塞いでしまうのは勿体無くて、唇の周りを舌で辿る。すぐ近くで生まれる甘い息遣いと声が、鼓膜を心地良く融かしてゆく。
 下では溢れ出た先走りや汗が纏わりつく植物を伝い、朝露のようにソファーに滴っている。縛られ繋がれたふたつの身体は、だんだんとひとつに混ざり合う。
 前も後ろも外も中も、性感を得うる部位という部位を一度に犯し尽くす蔦。それはあまりにも尋常でなく、あまりにも人智を超えていて。正気を殆ど失った悟浄はそれでも自分の甘さを悔やんだのか、食いしばった歯を軋らせた。その様子が愚かしくも愛おしく、彼の中に籠めたものが思わず、どっくん、と跳ねる。とうとう八戒は名残惜しげに一度顔を離し、大きく息を吐いて腰をぐっと押しつけた。
「ッ、あ」
 同時に、途中で止めていたソレと、ナカで絡まる無数の蔦とが、一斉に奥まで突き上げて。
 すべてが、はじけた。


「ご期待には沿えました?」
「…………沿うどころか、斜め上に越えて行きました」
「それは良かった」
 微笑む八戒から珈琲を受け取って、ジーンズを履き直した悟浄は漸くソファーから起き上がった。時間をかけて色々とブッ込まれた所為でとんでもなく腰が痛んで、立ち上がれそうにない。八戒はというと、まだ昨夜と同じ姿のまま。大分慣れて落ち着いてきたようだ。
「初めて見た時から思っちゃいたけど、なんつーかエロいよなぁ、コレ」
「……あの時、そんなこと考えてる余裕あったんですか?」
 悟浄は呆れる八戒の手をとり、指を組んでまじまじと見つめた。幾筋かの蔦が二人の境界線を曖昧にする。手が解けると、八戒はそれを悟浄の背に回し、腕や背中に遺る裂傷を恐る恐る撫でた。
「すみません、こんなに……この手じゃ消毒もできないんで、戻らない、と?」
 拾い上げたカフスが悟浄の手に攫われる。
「……もうちょっと、このまま」
「でも、怪我」
「こんなもん、舐めときゃ治るってな」
「……やらしいんですから」
 遠回しな要求を察して呆れたように笑うと、八戒は悟浄の背に回り、傷のひとつひとつに口づけた。甘く優しく、献身的に。
 痛む背中にあたる柔らかい舌とくすぐったい髪に、悟浄は幸福感を覚えた。同時に、優しく労わるような態度に、ほんの少しの物足りなさも。

 まだ肌に少し遺された、草の鎖。絹糸のように柔らかくしなやかなのに、時に冷たくきつく身を締め付け、どろりと熱く恥部を解す。自分と彼を覆うそれを見ていると、甘みも痛みも鮮烈に蘇って、危険なほどの快感が堪らなく後をひく。
 だから『もうちょっと、このまま』。




2012-08-05