「っ、ん」
 後ろから口を塞がれて無理矢理突っ込まれた指を押し返せず、付着したモノは口の中で溶けた。シナモンっぽい強い薫りのする、ふしぎに甘ったるい粘液。
「……な、に、ジャム?」
「びやく、です」
「びやく?」
 復唱してやっとこさ変換が追いついた。媚薬。AVとかにたまに出てくる感じのエロい響きのエロいアイテムだが日常生活ではまず絶対に出てこない単語だと俺は思う。普通思う。それがなんで。
「材料さえ揃えれば自作できるんですって。とりあえず簡単そうなのを試しに作ってみたので、味見ついでにと思って」
「ナニ勝手に得体の知れないモンの実験してんのお前!?」
「毒物入れたんじゃないんだから死にやしませんって」
 当たり前だ。
「……つーか媚薬って、その、なに、今からヤんの? 俺そろそろ出かける準備しよーとしてたんだけど」
「いえ、致しはしません。とりあえず様子を見るだけで」
「はぁ……」
 そもそもホントに効くのか、普通に売ってるような物で作れる媚薬なんて。隣に座り込んだ八戒は、まぁ眉唾ですね、と俺の疑念を勝手に読みとって答えた。
「思い込みも影響するのかもしれません。病は気から、みたいなもので。あ、ちなみに僕的には悟浄は結構弱いと踏んでます」
「勝手に踏むな。んな子供騙しに引っかかるほど純粋じゃねーっつーの」
 一応、掌を握ったり開いたり、腿をそれとなく撫でてみたりする。当然ながら、今のところ身体に変化はないらしい。八戒がどこの情報を基に何を調合して作ったんだか知らないし知りたくもないが、まあご期待に沿うようなことは起きないだろう。そろそろ出る準備をするか。上着を取りに行こうと立ち上がりかけて、ふと八戒が手で弄んでいる小瓶に目が留まった。
 掌の上にのっかるぐらいの四角く小さな硝子瓶に丸いコルク栓が差し込んであって、少女趣味というか童話チックというか、いかにもソレらしい。が、瓶の六分目くらいまで入っている「媚薬」とやらは想像以上にヤバそうな物体だった。濁った色だし底に何か沈殿していそうで気味が悪いし、いや変に透明感があっても怖いっちゃあ怖いか。どっちにしろ、こんなのを飲まされたのかと思うと良い気分はしない。
「なーんでそんなモン作ったかな」
「んー、ルーティン的な生活には定期的な刺激や潤いが必要だと思うんですね。倦怠期とか結構バカにできませんよ?」
「……いつから夫婦になったんだか」
 ぼやきつつ漸く場を離れようとしたとき、結構な力で肩を引っ掴まれて床に押し倒される格好になった。そして、数秒の間に。八戒は投げ出した瓶のコルクを抜いて、中身に中指を浸して、すぐに舐めとって、そのまま俺の唇を割ってきた。甘いどろどろしたソレが二人の間で溶けて、絡みあった舌が、指を這わされた首筋が、なんだかぴりぴりして、粘膜を辿られる感覚はいつもより鋭敏で、
 ――あれ?
 ゆっくり唇を離した八戒は俺の様子――きっとバカみたいに呆けたツラを晒している――を見ると、やたらと嬉しそうな声でにこにこしながら言った。
「……効いてきたみたいですね?」
「……へ、」
 実感は、あるといえばあったし無いといえば無かった。
 媚薬なんてのはてっきり下半身に効くものだと思っていたら、実際そっちに直接クる感覚はないに等しい。というと拍子抜けだが、舌とか首元の触覚は鋭かったし、芯から弱く痺れてくる感じがまだ続いている。拍動も速くなってきた。もどかしくて甘ったるくて鈍い快感が、ゆっくりゆっくり小波の如く押し寄せてくるというか。
「なぁ、なん、っか、気持ち悪ィんだけど……」
「あれ、気持ちいいの間違いじゃないですか?」
 跨る八戒の手が横っ腹を一瞬すっと撫でて、思わず身体が跳ねそうになった。人肌の触れたところだけが瞬間的にじんと熱くなって、でも離れると一気に体温が下がる感じがする。そのうえ嫌にぴりぴりするから思わず触るななんて突っぱねそうになったが、同時に何か言おうとした八戒のせいでタイミングを逃した。
「……実は貴方より先に飲んでみたんですけど、僕には殆ど効いてないみたいなんです」
 拗ねた子供みたいに呟いて、溜息をつく。効いてたら楽しかったのに、と残念がるような反応。気まぐれに身体を撫でていた手がそっと浮くと、接点がなくなって熱は急速に逃げた。なのに全身にはやっぱり絶えず弱い電流が走っているようで、逸る心臓は余計ぎゅっと締めつけられて、堪らなく、せつない。吐息だけが懲りずに熱っぽさを孕んでいて、何故かちょっと泣きたくなる。
「……八戒?」
「なんにも、しませんよ。それに、貴方いまから出かけるんでしょう?」
 いってらっしゃい。そう心にも無さそうに告げ、情けなく見つめる俺を態と無視して、膝立ちで跨っていた八戒はとうとう立ち上がろうとした。身体が、勿体ぶるようにゆっくり離れていって――
「……っ、はっかいっ!」
 遠ざかる首元に手を伸ばして、思いっきりシャツの襟を引っぱった。八戒の身体が倒れ込むように折り重なって、全身がじわあっと熱を持つ。何度も呼び起こされるそんな熱さも、上っ面を柔らかい羽で弄ぶようなくすぐったさも、気持ちよくなりきれないなら拷問でしかない。
「あ゛ーもー認めますバッチリ効いてますって、いうか、ムズムズして耐えらん、ねぇ、って、も……とにかくムリ、頼むからッ、はっ、かい……!」
「……気付いてます? すっごく久しぶりですよ」
 眉尻を下げて八戒は満足そうに、というよりは安堵したように、少し弱気に微笑んだ。
「そんなに、熱烈に求めてくれるの」

 効き目も保証できない、あやしい薬を作ったのは何の為?
 どうしようもなくなって俺から誘いをかけてくるように仕向ける為、なんだろう。もし俺に効かなかったらどうするつもりだったのか。それとも本当にそのケースはお前の中で想定されなかったのか。
 ああ、どっちにしたってもう、そんな賭けは俺の負けでいいから。全身のヤな痺れがすっかりとれるまで、ちゃんと俺に触れてくださいお願いします。

 渇いた唇にあたらしい毒が塗りたくられると、焦がれた八戒の舌先がそれを掬って口の中に押し込むようにして、また吐きそうに甘ったるいキスを齎す。ぴりぴり、と。二度めの分がそろそろ廻ってきたのか、混ざり合う唾液は沸騰しそうなほど。用法用量を守って正しくお使いください。そんなフレーズが頭を過ぎった。名残惜しげに離れる唇。見上げると戸惑ったような顔。ああ。やっとお前にも効いてきた。




2013-08-05