おふとんとか、おこたとか、冬の人間をだめにしてしまうぬくもりはまるで魔物だと誰かが言った。 この家におこたは無いけれど、あったらあったで同居人がすっかりだめになってしまいそうなので今のところ導入は見合わせている。ちなみに僕自身はというと、寒い時こそいつもどおりの時間にしゃきっと起床して、すぱっと朝の日課をこなしてしまうことに達成感を覚えるタイプだから問題なく毎日健康だ。手荒れや冷え対策だって万全。今日もこうして目が覚めたので、惜しまれつつも颯爽とおふとんに別れを告げるべきところなのだけれど。 「えぇと」 背中が変にあったかい。 ジープは既に目を覚まして、じきに起きてくる主人を待つように窓辺のあたりをふわふわ浮遊しているようで。ならば、この体温は。 「……悟浄、なに遊んでるんです?」 「……んー」 体勢を変えず名を呼ぶと眠そうに応える声。たぶん背中合わせに寝ているその人は、たったいま起きたところらしい。 「ふぁ……わり、ちょっと避難してきた」 「はい?」 「夜中に帰ってきてさぁ。部屋ン中でぇ、なんかカサカサいうの聞こえてー、一旦電気つけて捜したけどー、全ッ然見つかんなくてー」 「お仲間が怖くて逃げてきたんですか」 「昆虫の類じゃねーから」 ツッコミが鋭い。意外と目覚めは悪くないみたいだ。 「怖いワケじゃねっつの。目の前に出たら叩き潰してやっけどさぁ……誰でもヤだろ、暗い部屋のどっかでカサカサしてたら」 「それは同感ですが」 だからって、ここで寝るかなぁ。 なんて返す前に、好き好んで野郎にくっついてんじゃねーよと悟浄はぼやいた。きっとわざわざ目を逸らすようなしぐさをして、くちびるをちょっと尖らせているのだろう。 「床とかで寝んのもキツイだろ」 「外に泊まればいいじゃないですか。ちっちゃな子供じゃないんだから」 そうだ、そもそもどうして帰ってきたんだか。寒いんだし、いつもみたいに一緒に夜を過ごしてくれるひとを捜せばよかったのに。体温は低いし女性みたいに柔らかくないし、当然ながらそういった意味で温めあうこともできませんよ僕は。なんちゃって。 どうにも言い返さずにいられない僕の言葉にいいかげん悟浄が言いよどんで、溜息まじりにつぶやいた。 「……なーんか今日の八戒さんイジワル。低血圧ぅ?」 「残念ながらすっきり目覚めてます」 「そ」 そこでふと悟浄は黙り込んでから、いっそう小さな声で、おふとんの中に向けるように言った。 「イヤ、なんかこー、急激に家庭料理的なモン食いたくなってさ。寒いからシチューとか作ってねえかなーって」 なんて現金な、というか単純な。やっぱり撤回しますね。ちっちゃな子供でしたよ貴方。 「献立ってちゃんと考えてつくるものなんで、急に言われても困るんですが」 今日だって余った野菜が色々あるから簡単に野菜炒めとかにする予定だし。シチューはルーが無いからなあ。週末に買い出しに行ったときにでも買おうかなあ。って、どっちにしてもそろそろ起きないと。もう起床時間は過ぎているし、さっきからこっちをちらちら伺って懸命にホバリングを続けているジープが可哀想になってきたし。さあ掛け布団を上げましょう。思い切りとタイミングが大事なんですこういうのは。だからこう、ばっといっぺんに引っぺがして、 「っ、さっむ!」 決死の思いで捲り上げたそれは、あえなく悟浄の腕によって引き戻された。嗚呼なんたる反骨精神。ていうか僕まで巻き込まないでください僕はおふとんとお別れするんです。ひとりで手の冷えと戦いながら洗濯物を干すんです。 「……べつに、冷え症とかじゃ全然ねェんだけどさ」 おふとんの中に頭ごとダイブして背後で寒い寒いと呪文のように唱えていた悟浄が、おもむろに言葉を紡いだ。よけいにくぐもった声音は多分、身体を丸めているせいだ。 「なーんか寒いのはビミョーに好きくないの」 真冬に閉め出されたことがあった、と。 ちょっと酔っ払っていたときだったかに、悟浄がふと、何かのついでに、何でもなさそうにこぼしていたのが頭を過った。 生傷を風にさらして、おなかを空かせて、ふらふらとさまよい歩きながら、本気で凍えそうになっているときですら。きっとこの人の記憶には、毛布をかけてくれるひとも、温かいシチューを作ってくれるひとも、ずっとずっと居なかったんだ。――あぁもう。なんか唐突にヘビーだなぁ。 中に潜りこんで、はじめて向き直ってみると、ひとまわり小さな、なんとなく縮こまった悟浄の背中が目の前にあった。長い髪は乱れつつ流れて、毛束の隙間から首筋の肌が覗いている。つっ、とそこに指を這わせたら、わっと悟浄が声をあげてびくついた。 「なんっっで布団入ってたのにそんな冷てェんだよ!!」 「あはは、末端冷え性なめないでくださいよぉ」 シチューかぁ。考えているうちに自分でも食べたくなってきたかも。煮込み料理は一気にたくさん作ったほうが美味しいんだよなぁ。かといって毎晩悟浄が居るわけでもなし、仮に居たとして毎日同じメニューも芸がない。三蔵と悟空におすそわけしたいけど、寺院にお肉ってまずいかなぁ。うーん、ご招待しちゃえば関係ないか。 「ね、悟浄」 生暖かく満たされた魔空間から僕は上半身だけさっさと抜け出して、まだ中にあるいきものの膨らみを軽く揺さぶった。 「早く起きて、だれかさんの買い物を手伝ったら、いいことがあるかもしれませんよ?」 図らずも朝の日課が三十分もずれこみ、夕食の予定まで変わってしまった。 たしかに隣にいるひとの離しがたい体温と言葉が、おふとんなんかよりもずっと僕をだめにする魔物。 2013-11-03 |