勘がいい、というのは少しばかり損だと思う。
 どちらに明言されたわけでもなく、これ見よがしに誇示されたわけでもなく、ただ本当に「なんとなく」僕は察してしまった。テーブルの上の灰皿に、おぞましいほど積み重なった吸い殻の山。その脇に投げ出された空っぽの二つのパッケージ、一面を塗り潰す蒼の中に溶けた彼らの過ぎ去りし日々を。

「…………」
 眠る彼の枕元へ座り込み、吸い寄せられるように指を延ばした。中身が半分以上なくなって潰れかけたその箱を、掌の中で弄ぶ。
 たまたま趣味が合ったのか、片方がもう片方に合わせたのかは分からない。後者だとすれば恐らく、より擦れていて世慣れた感じのするあの男が先達だろう。薄い眉を吊り上げた表情や下卑た言動が頭をよぎって、思わず小さく溜息を吐いた。
 さて、言ってしまえばこの苛立ちは、子供じみた嫉妬に近い。それなりに仲の良いつもりだった友達が、もっと付き合いの長い相手と二人で楽しそうにしているのを見てしまったような。もっとも、幼少期に孤立を選んでいた僕にはそういった経験がない。それに彼は「お友達」なんて明快なものではない、気がする。もう少し近づいてしまっているような、けれどそれゆえに遠ざかってもいるような。転々としてまとまらない思考を掻き回しているうちに、気がつけば箱を持った手が縦に振れ、突き出た一本の煙草を取り出していた。
「……あれ」
 意識して、ふと動きが止まる。しかし次の瞬間には流れるように箱を手放し、そのまま傍に横たわっていたライターのほうを拾い上げていた。
 百害あって一利なし。そう心得ていたからこそ、手を出そうとしたことはなかった。だというのに、不思議と躊躇うこともなくフィルターをくちびるに挟み、ライターにかけた指を落とし、その先端に火を灯していた。たとえ記憶を失っても、呼吸の仕方や歩き方は忘れることがないように。意識の奥深くに刻み込まれた、ごく当たり前の習慣のように。
 軽く息を吸い、そのままゆっくりと吐き出してみる。噎せるようなことはなかったが、特段これに味らしい味や中毒性があるとも思えない。身体が慣れていないせいか、単純に銘柄が好みでないせいか、そこまでは分からないけれど。
 もう一度、今度はより深く煙を吸い込んだ。肺まで廻り浸透してゆく毒の香りと、どこからか沸き起こる安心感。その気持ちと相反するようで表裏一体の――彼ら二人の世界に立ち入ってしまった、という仄かな罪悪感。それは吹けば紫煙に溶けて消えてしまうような、僅かばかりの後ろめたさ。
 そもそも彼ら二人の、なんて流石に言い過ぎだ。恐らくは世界中で何千人、何万人という人が同じ銘柄を愛飲しているのだから。愛されず見捨てられたモノは、人知れず朽ち果ててゆくのだから。結局、煙草の銘柄ひとつに特別な意味などない。意味を持つのは寧ろ物言わず並んで煙草を呑む、そんな空間と時間そのものなんだろう、きっと。
 羨ましくないといえば嘘になる。不気味なほどに煙草の呑み方を識っている身体は、それでいて悟っているのだ。それは「自分」の担う立ち位置ではないのだと。決して「僕」と「彼」の関係ではないのだと。だから、この1本はあくまで起き抜けの気紛れと。
「あてつけですね、少し」
 また息を吸い、くちびるから離した煙草を携帯灰皿にしっかりと押しつけた。そのまま、軽くひらいたくちびるを静かに塞いで、ふ、と細く細く紫煙を流し込む。
 煮詰まり、燻り、焦げついた想いの何もかもを注ぐように。
 その身体の奥にずっと、封じ込めてしまえるように。





2016-09-23