「こ、こんなとこで……誰かに見つかったら」 「強がんなよ……欲しいクセに」 肩を掴んでいた捲簾の手が、悟浄の身体の線をなぞりながら緩慢に滑り下りて行く。 裾から伸びる白い股まで辿り着くと掌は内側へ回り、無遠慮に奥へと侵入る。熱の核心に及ぶ愛撫に悟浄の腰がビクンと跳ねた。 「ほーら、こんなに濡らして」 「ッんぁ……やっ、らめぇ……!」 責め続ける指先に弄ばれてはしたない音と共に蜜が溢れ、薄っぺらい布地は外側まで濡れそぼる。ついに捲簾は猛る自身を強引に奥の小部屋へと 「……なーんちゃって」 再び「検索・置換」をクリックして「捲簾」と「悟浄」を本来の主人公とヒロインの名前に戻す。この書きかけのデータはよくわからない出版社が発行するよくわからない雑誌の穴埋めに冗談みたいなペンネームで載ることになっている、近親モノの三文猥褻小説だ。 溜め込んだ仕事に追われ引き篭りっぱなしで捲簾とも会っていなかったら、一緒に住んでいる「悟浄」とやらがちょっと羨ましくなってきたり、その結果ふたりの関係についての疑念が自分の中でだんだん現実味を帯びてきたり、色々と症状が悪化してしまった。流石にそんなことはないと思うけれど。 「……あ、タチよりネコなのかも」 呟きながらまた置換パネルを開く。あのひとの名前と僕の名前を入れてみたり、並び替えてみたり。何回か繰り返しているうちに身体が熱くなってきて包まっていた布団を脱いだ。 ああ無性に会いたい。触りたい。ていうかいい加減ちゃんとシてみたい。あの約束が生きてるんなら。ってもうこんな中学生みたいな遊びしてる場合じゃなくて。ほら陽も沈みかけてるし。早く書き上げて――書き上げてどうするんだろう――当の本人は未明まで独りで職場を任されてるとかで――って、あぁそうだった。 行けばいいんだ。その「職場」に。 ---------------------------------------------- 日曜の夜に酒を飲みに行く大人は多くない。 そしてそれをいいことにマスターは今日一日新人の俺に店をぶん投げてきやがった。本当に腰を悪くしたらしいから仕方ないが。そんな日に限って酒にうるさそうな面倒臭えオッサンとか明らかに出来上がってて絡みのしつこいオネーサンとかが刺客のように次々いらっしゃるから何の試練かと思った。それら全てを見事穏便に処理した俺マジかっこいい。薦められるまま興味本位で始めた割に、天職だったりして。 てっぺんを越えて本格的に暇になってきた頃に訪れた最後の客が、この昼夜逆転気味な自由業の友人だった。ちびちび飲んでいたグラスをやっと空にすると、 ほうとため息をつく。 「……美味しいです」 「でしょー?」 「ちょっとの間にサマになるもんですねぇ」 「ま、俺器用だから」 天蓬はちょっと悔しそうに唸りつつ、物言いたげな様子で俺を見据えてくる。 「で、もうラストオーダーだけど」 「あぁ、じゃあ同じのを」 「またアレクサンダーかよ」 甘党の天蓬には飲みやすいのかもしれないが、女みたいなチョイスに何とも言えない気持ちになる。漸く色々覚えたんだし、俺としては別の物でも腕を見てほしいんだけど。ぶつくさ言いつつも、また同じブランデーを手に取った。 「結局約束ってどうなったんですか?」 「約束?」 「卒論終わってから色々しましょうって話だったでしょう」 危うくシェイカーを取り落としかけた。 仮にも職場っていうか公共の場で何を言い出すんだお前は。そう口に出す前に天蓬が「まあまあ」とか適当に遮ってくる。 「もうお客さん居ないんだしいいじゃないですか。……貴方は悟浄と一緒だし僕は実家ずまいだったから、在学中はあんまり進展もなく有耶無耶になっちゃって」 「そもそもお前が一人で部屋借りればよかったんでねーの。金欠って訳じゃねんだろ?」 「だってあの子が可愛いんですもん。独りにするの心配で」 「お前なぁ……」 しかしまあ、歳の離れた親類が可愛くて仕方ない気持ちはよく分かるわけで。 天蓬の従弟というのは悟浄と同い年らしいが、俺たちがついこの前卒業した大学に今年飛び入学したという天才児だ。うちのちょっと残念な子とはえらく違うタイプというか、さすが天蓬の血筋というか。コイツの場合大学に居座りすぎて飛び級の意味が消え去っているが。 混ざったカクテルをグラスに注いで、丁寧に差し出してやる。天蓬は暫く人差し指でグラスの柄を撫でながら、またじっとカウンター越しに俺を見つめてきた。こうして静かになってみると、店内で流れるジャズのせいで変に艶っぽい空気が醸し出されて、そういえば天蓬の頬も心持ち紅潮していて、なんていうかこう―― 「……そんなこんなでまあ、わざわざ此処に来てみたんですが」 「は」 問い返す間も与えず、天蓬が一気に酒を煽った。 「ッおい!」 焦って思わず声が上擦る。意外と度数高いから調子乗んなよって初めに言ったのに。特別強いわけでもないくせに。ああもう知らねえ。 「んー……」 空のグラスが置かれると同時に、ぐらっと天蓬の頭が揺らいだ。みるみるうちにカウンターのほうへ傾いて、本能的にか乱雑に眼鏡を外してから、びたんとカウンターに突っ伏す。 そして動かなくなった。 「…………」 「……お客さーん。閉店10分前なんですけどぉ」 迷惑な客の反応はない。僅かに肩が上下しているのが判らなかったら本当に死んだと思っただろう。 埒が明かないから一先ずカウンターの外に出た。頭に軽くチョップをかます。応答なし。肩を揺する。応答なし。覗き込んでも、突っ伏した表情は長い髪に隠れて全く見えない。更に顔を寄せて耳元で声を掛ける。 「なーって。タクシー呼びましょーかぁ……っむ、」 一瞬の間に、カカオの匂いに取りこまれた。 首元を不意に引き寄せた手が、吸いつく唇が、絡められる甘く柔らかい舌が、酔いつぶれてなんかいないことを誇示してくる。謀ったな。そう思いつつも振りほどく気分になれなくて。甘美な香りを纏って流れ込むアルコールと、俺を欲しがる少し熱い口腔に、心地良く捕らわれてゆく。 やっと舌を放した天蓬の眼は、あまりにも分かりやすく情欲に濡れていた。そんな視線が普段の分厚いレンズを通さず直接、開き直ったようにまっすぐ身体を刺してくる。 「……つづき。奥で、しましょう?」 スタッフルームのドアのほうを指差しながら囁く声は、甘えるというよりは強気に誘う低めの声。 「……関係者以外立入禁止、って書いてあるんだけど。あ、裸眼じゃ読めない?」 「その関係者が今あなたしか居ないんだから」 「バレたら俺無職になっちゃう」 「バレないでしょ」 まあ多分バレないけど。いやだからって。 「……ね、その服」 天蓬がおもむろに椅子から立ち上がり、俺に寄りかかる。 「似合ってますよねぇ……むかつくぐらい。襟こんなに開けて、誘ってるんですか?」 する、と首もとに天蓬が絡みついた。手はゆっくり下降しながら胸板を撫でて、黒いベストの上から腰の線を繰り返し辿る。その指先から熱をうつされたみたいに、だんだんと俺まで燃えてきてしまう。こうなればもう折れるしかないのが悲しい男の性とでも言おうか。 「……閉めて、片付けてくるから。待ってろ」 ふらつく天蓬の肩を支えつつ奥まで歩かせ、鍵を開けた部屋の中に押しやった。 表のプレートを"CLOSED"に裏返し、消灯してから戻ってみれば、天蓬は薄明かりの中、焦げ茶色のソファの上で寝息を立てていた。呑気なもんだ。ここまできて寝かせてやるかっつーの。 「てーんぽぉ」 髪の隙間から覗く耳朶に噛みつくと、眉がぴくりと動いた。唇を舐めてやれば眠たげな濃紫の瞳がゆっくりと開く。 「……お疲れさま」 靴を脱ぎ捨てて覆い被さると天蓬の手が伸びてきて、くしゃくしゃに頭を撫でられた。 人に撫でられたのなんて相当久しぶりで――こんなタッパの男じゃ当たり前だけど――不思議な感覚だった。時間をかけてセットした髪を掻き乱す指先に不快感を感じないどころか、面映ゆいような安らぎや軽い欲情さえ覚えるなんて。 「身体、疲れてません?」 「……うんって言ってもやめねーくせに」 頭を撫でられたのが効いたのか。ご機嫌そうに笑う天蓬の、こいつなりに少しは労ってくれているらしい態度が正直嬉しくて、働きづめで変に固くなっていた身体から力が抜けてゆく。ゆるやかに、スイッチが切り替わる。 「僕は取り敢えず、どっちでもいいんですけど」 何の「どっち」だ。ああ、「約束」ってそういう話だったっけ。三回生の秋にイロイロあって関係がズレこんでから何度かあったそういう機会にも、所謂ペッティングの範囲で交わってきたわけで。 どーしよーかなーなんて心にもなく口ずさみつつ、手慰みに寝乱れた長髪を梳いた。手触りが全然違う。そのうえ微かに漂うのは何とも言えないフローラルな香り。 「風呂入ったの?」 「店に来るならちゃんとしてこい、って、貴方が言ってたから」 つう、と改めて髪の先に触れた。いつもほどあちこち跳ねてない。輪っかになった艶は皮脂じゃなくて多分リンスだし、撫でるとしっとりとした感触が指に吸いついて、持ち上げるとシャンプーの匂いが鼻をかすめる。項に手を回して根元からかき上げたら、はぁ、と気持ち良さそうな息が零れた。 「興奮してますねぇ」 「ご名答」 主張するように身体を寄せたら、天蓬は仕方ないなぁなんてわざとらしく呟いた。おもむろに胸ポケットをまさぐり、ごく小さいチューブ状の何かと薄い真四角の袋を乱雑に取り出すと、 「……ん、」 ちょっと顔を背けつつ差し出すように袋の端を咥えて、上目遣いにねだってくる。やらしい。色々分かっててやってる感じがすっげえやらしい。 犯したい。自然にそう感じたことを潔く認める。 ――ちょっとした拷問だ。 勝手なことを言ってシャツ一枚で跨った天蓬は、そのまま俺の上でこれ見よがしに準備を始めた。先程のチューブはジェル状のローション的な、なんかそういうものだったらしい。細長い指が何度かそれを掬い取って自らの後ろへ持ってゆく。ぐちゅぐちゅ言う水音と吐息混じりの喘ぎだけで、見えないソコがどうなっているんだか想像が掻き立てられて、外に引っ張り出されたソレが浅ましく反応してしまう。「いい子にしてて」と、宥めるように押しつけられた天蓬のは、二枚の薄い膜越しにも充分わかるくらい熱を溜め込んでいた。 「……酔ってるクセに、よく勃つこと」 「見た目に、出やすいだけで……そんなに酔ってませんって」 酔ってるやつこそ皆そう言う。赤らんできた頬も高い体温も、ただ興奮してるだけとは思えないのに。 そんなことを考えていたら、いいですよ、という声とともに天蓬が俺の腰を支えて、自らそこをくっつけてきた。 「ふ、っ……」 腹の上にゆっくりと尻が下りてくる。徐々に誘い込まれる、初めて知る天蓬の中。温かい、というかちょっと熱いくらいの温度。ぬるぬるに濡れた案外柔らかい肉感に、ぎゅうと抱きすくめられるような生々しい感触。流石に少し狭くて、でもその具合がまた妙に気持ちいい。ハマったらどうしてくれんだか。 「っ、慣れてんの……?」 「慣らして来たん、ですよ……貴方のために」 そんな柄にもない殊勝な台詞だって、今に限っては何のひっかかりもなく胸のなかに落ちてくる。たちまち愛おしさが身体の隅まで行き渡って指先がひとりでに動き、上気する頬を引き寄せていた。 柔い唇を何度かついばむ間に天蓬の指がまた胸に触れて、ベストのボタンをひとつずつ外してゆく。三つすべて外れて前が開くと呼吸が楽になって、逆に今まで苦しかったことに漸く気づく。これだけ密着されれば当然暑いし、のっかられれば当然重いしで、全身にじっとり汗が滲んでいた。なんで服着たまんまやってんだ俺。 「なぁ、全部脱ぎたい」 「えーダメですよ。折角のコスプレなんだから」 「いや仕事着なんですけどコレ」 天蓬はまるで耳を貸さず、上半身を起こして更に引き込んでゆく。不意にぎゅっと締まって痺れるような痛みが走ったが、一瞬だった。上で震えながら呼吸を整える天蓬が、俺を追い出さないよう必死に受け入れてくれているのが自然と判って、不覚にも可愛いとか思ってしまう。と同時に、あくまで主導権を渡そうとしないそのさまがちょっと憎らしくもあって。 「あ、」 揺れかけた腰にぐっと手をかけて、背もたれのほうへ天蓬を押しやるように身体を捻った。半ば無理やりに上下を入れ替えると天蓬が目を丸くしたのち、微妙に不服そうに尋ねる。 「下、ヤなんですか?」 「流石に重いし。……ていうか」 開かせた脚を押さえて、動きやすくなった身体を一気に預けたら、突き上げられた天蓬がとんでもなくエロい声をあげた。放り出されたソレはびくびく痙攣して、急に埋め尽くされた中は驚いたのか食いちぎりそうなほどキツく締めつけて抗ってくる。 「あッ、ぁ……っいきなり、なに……!」 長い睫の下で黒目がちな眼がじわりと潤みだす。汗を含んだ濡羽色の髪が、寄せられた眉根や涙の伝う紅い頬に纏わりつく。滅多にお目にかかれない、虐めたくなる極上の表情。こんなのを見せつけられて大人しくしてろなんて無理な相談だ。 徐々に馴染んできた中を掻き回しつつ、シャツを剥いて上半身もじっくり弄くってやる。碌に筋肉のついていないふにふにの二の腕や脇腹をなぶったら、イヤイヤするように身を捩られた。皮膚も粘膜もえらく熱いうえに汗だかローションだかでしとどに濡れていて、触れるたびにゾクゾクする。ふいに紅潮した頬の下で唾液に濡れた唇がわなないて、頼りない声が搾り出された。 「ぁ、ッけん、れん…………あたま、くらくらする……」 茹蛸になって呂律も怪しい天蓬がぜいぜい言いながら見上げてくるから、一旦動きを止めてやる。こいつは仕事終わりの俺なんかより運動不足の自分の身体を気遣うべきだったんじゃなかろうか。あと酔いの廻りが微妙に遅いことも。 「……流石に今吐くなよ……?」 「だからぁ、酔ってるわけじゃ、ありません……っからぁ……へぇきれす、ってぇ」 しんどいのか平気なのかどっちだよ。 段々わけがわからなくなってきた天蓬はそれでも求めて腰を動かす。そろそろ俺まで正気がぶっ飛びそうになってきて、あくまで大丈夫だという酔いどれの主張をいっそ信じてしまうことにした。 「……んじゃ、もっと揺すぶってもいーい?」 勿論答えなんて聞いてない。 朝起きて腰が立たなくなってたら、ちゃーんと家まで送ってやるから。 とりあえずはその舌っ足らずな涙声で。縋りついていじらしく名前なんて呼びながら、イってくれる? 駅前の小さなバーの奥にあるスタッフルームの、仮眠用ベッドを兼ねているらしいソファの上。 遅い時間の営業がほぼ俺に一任されてゆくにつれ、閉店後のこの場所は蜜月の二人にうってつけの隠れ家になってしまう。クーラーの利きがいまいちなのは結構な難点だが。 余談だが、今や男性向け女性向け問わず引く手数多と自称する天蓬先生のいかがわしい小説が支持を得始めたのは、その夜以降に書いた作品かららしい。本人が恥ずかしげもなく宣伝してくるから幾つかは目を通したが、生々しいというかマニアックな描写がどぎつくて大方最後まで読めなかった。 ましてや、どれを読んでも出てくるバーテンダーのモデルはもしかして俺か、なんて絶対に訊けなかった。 2013-10-12 |