「ケツにウォッカはダメだろ」 控室のドアを開けたポーズのまま天蓬はぴたりと立ち止まり、「きょとん」と言わんばかりに目を瞬かせた。 「……ていうか全体的にダメだろ」 「ポルノは基本ファンタジーですから」 「……ダメだろ」 しれっと答える声に余計頭の痛みが増して、そのままソファに突っ伏した。ばさり、と力の抜けた手から薄い冊子の落ちる音。 「……マドラーもダメだろ」 「頼んでもないのに最後まで読んだんですか」 「……イヤ暇だったし短いし勢いあったからなんかつい」 視界の端で天蓬の指が「忘れ物」を淡々と掬いあげた。言いたくもないが簡単に言ってしまうとソレは、黒髪で筋肉質の若いバーテンが諸事情によりヤのつく人々の襲撃に遭ってあらゆるアイテムを用いられながら情け容赦なくマワし尽くされるという理不尽極まりない極一部の成人向け小説同人誌だ。つーかコイツわざとここに置いてったろ。絶対これ手の込んだセクハラっていうか嫌がらせだろ。 「……こんな目で見られてたのかよ俺」 「貴方がモデルだなんて一言も言ってないじゃないですか」 「うっせえ律儀に襞の数まで数えやがってくたばれ」 「一部は想像ですよ? 背中の黒子の数は正確に書きましたけど」 認めた。モデルどころかめっちゃ俺そのものをお手軽に凌辱しちゃいましたって認めたぞコイツ。 「帰れ」 「目も合わせずに言われると結構傷つくんですけど」 「……つーかそろそろ開店準備してーんだよ。ソレだけ取りに来るって話だったろ元々」 なんてのは建前で、本当のところあと1時間は余裕があるが。 言いながら身体をどうにか起こし、一先ずソファに腰かけ直した。いつまでも俯せで唸ってちゃ折角セットした髪も皺ひとつないベストも台無しだ。 「……怒らないでくださいよ」 暫くソファ脇に突っ立っていた天蓬はひょこひょこ歩いてきて肩掛け鞄を足元に置くと、俺の真ん前に仁王立ちした。なんでちょっと偉そうなんだ。 「虚構はあくまで虚構ですってば。生憎寝取られ趣味はありませんし、こんなの実際にやったら命に関わります。それに」 そこで軽く屈んだ天蓬の人指し指が唇に触れた。僅かに開いた隙間から、先端が軽くめり込んでくる。 「お酒はこっちで飲むものですから」 「は、」 呆けているうちに浮いた指先は流れるように動き、足元の鞄から見覚えのある琥珀色の瓶を取り出した。 「ここに置こうかなと思って持ってきたんです。ほんの少しだけどうですか?」 「ちょっと待て」 「はあ」 「ソレ軽く70度ぐらいなかったか?」 「流石お詳しいですね」 「……カクテルでも使ったことねえぞ」 「でしょうね。店の棚にも見当たらなかった気がします」 ――そんな危険物をなんで酒豪でも蒐集家でもねえお前が持ってんだ。あとなんで喋りながら注いでんだグラスもどっから持ち出した今から仕事だっつってんだろ聞けよ。 「見たことないんですもん、貴方がマトモに酔うところ」 「あ?」 ぐっ、と急に体重がかかったかと思うと、天蓬ががっちり膝を掴まえるように跨ってきた。 「はい、お試し」 「な、」 小さく傾けられたグラスから、一口分の酒が一気に流れ込む。 「っ、ん……!?」 味を感じる間もなく、一瞬で内側が熱を持つ。驚いて咄嗟に飲み込めば、喉がじりじり灼けるような熱さに思いっきり噎せ返った。 「ッげほ、っ、は……辛、ってか熱ッ……!?」 「これでも多かったですか?」 ごとりと脇のローボードにボトルが置かれると同時に、首元に触れた舌が唇の端まで這い上がり、零れた一筋を舐めとった。満足げに細められた眼は、あからさまに物欲しそうな光を湛えている。あ、やっぱり。また妙な遊びに巻き込まれた。 汲んだ酒の中に人差し指と中指をくぐらせると、天蓬はグラスを一旦ボトルの傍に置いた。濡れた指が、刺すような勢いで眼前に突きつけられる。 「舐めるぐらいが丁度いいですよ、やっぱり」 「イヤ指から舐める必要……ッ、」 待ったなしにするんと唇を通り抜け、指先はあっという間に舌の根まで辿り着く。 そのままグミでも摘むように、2本の指と親指が舌を挟んで引っ張った。肩を掴んで押し返そうとしても、唾液で舌が滑り落ちても、天蓬は懲りずにつかまえてくる。ぬるりと指の腹から逃げてゆくその感触をこそ、楽しんでいるみたいに。 つかまる度にどぎついアルコールが丹念にすりこまれて、舌の上や裏が徐々に痺れだす。手に籠る力が少し、抜ける。首を捩って逃れれば左手で顎を押さえられ、益々奥まで侵される。このまま喉まで突き通されたらひとたまりもない。 「歯なんて立てちゃ嫌ですよ?」 そう言われれば寧ろ全力で噛みつきたくなるし実際できるのに、口は言うことを聞かない。脅すように喉の手前でちらつく凶器のせいか、微妙に麻痺してきた舌のせいか、それとも。 「っふ、ん……」 掻き回される水音の中に、後に退けない何かを感じ始めたせいか。 酒混じりの熱い唾液は、いつの間にか中で溢れかけていた。んく、と止むを得ず喉を鳴らして飲み込めば、図らずも自ら指に吸いつく形になる。上顎と舌の間を這っていた人差し指と中指を、軽く圧迫した瞬間。なんでそんなに冷静なのか問い詰めたいほど真顔に近かった天蓬の表情が、ほんの少しだけ悩ましげに崩れた、気がした。 「あ、」 突然ちゅるんと指が抜けて、視界に透明な糸がちらついた。 かと思えば天蓬はまたグラスに指を浸して、ゆっくりと俺の唇に触れた。雫が顎へ滴り落ちてくるばかりで、強引に突っ込まれる気配はない。 「……貴方から、舐めてくれませんか」 「は?」 「そうしたら無理に入れたり動かしたりしませんから」 「……ナニそのお前しか得しない二択」 呆れつつ濡れそぼった天蓬の手を見ていると、中途半端に酒を通して温まった喉の奥がいっそう渇いた。 ――まあ時間もあるし、ちょっとぐらいなら遊んでやっても。 中指の先に軽く舌をあててみれば、爪の上から落ちたひとしずくが染みてくる。多少慣れて薫りを感じられるようになってみれば、決して不味くはない。寧ろ好みに近いが、どう考えてもストレートでぐいぐい飲むような代物じゃない。ロックアイスもソーダもないなら「舐める」のが妥当だ。 投げ出された手首を掴んで、わざと中指だけを責め始めた。指先をついばんで、関節をなぞるように舐め上げて、根元まで咥えこんで、大袈裟に喉を鳴らして。舌の上で転がして味がしなくなってきたら、隣の薬指を先っちょだけで擽ってみる。そうやって焦らせば焦らす程もどかしげに震える指に、ちょっとした優越感を覚えた。見上げてみればすっかり欲情モードに入って眼を潤ませた天蓬が、軽く眉根を寄せて俺をじっと見下ろしている。 「……やらしい」 「……ま、生まれつき?」 上目遣いに視線を絡めたまま、突き出した舌を勿体ぶって薬指に這わせてゆくと、覆い被さる身体が僅かに跳ねた。一瞬動いたその腰とぶつかった自分の臍あたりに、何とも言えない感触がぶち当たる。 「……お前」 「だって煽るから」 まるで悪びれもせず天蓬は言い、腰をもぞもぞ動かしてつっつくように真ん中にソレを当ててくる。ゆるく弄ばれ続けて微妙な状態の身体が一瞬つられそうになったが、どうにかやり過ごした。手首を掴んだ指をほどき、両手でまた肩を押さえて迫る体を押し戻す。 「……ん、ココまで。制服が汚れそうなコトは禁止」 「別に着たままでもいいですよ」 「内側が汚れんだろーがアホ」 いくらキツいと言っても、実際身体に入ったのはショットグラス1杯分かそこらだろう。喉にも支障はないし、開店準備は今からでも十分間に合う。 「ホラ、そこにトイレあっから一人、で……」 言いかけたところで伸ばした腕がふっと脱力し、視界が薄く暈けた。 「……あ、れ?」 「あぁ、急に廻ってきちゃいました?」 ――マジ、で? 久方ぶりににっこり笑んだその顔の輪郭が一瞬、二重にぶれて見えた。 そんなことに気を取られているうちに、また口の中が満たされて。探られる粘膜のあちらこちらに、火を纏う雫が伝い落ちてくる。 「ッ、」 そのまま腰をぐっと寄せられて小刻みに擦りつけられたりすれば、同時に擽られる歯茎も頬の内側も、性感帯へ化けてゆく。そんなのは錯覚だと、分かっていたって。感じなくなりつつあった筈の舌面も、欲の篭った指に撫でられて思い出したように痺れだす。まだ酒を残した人差し指が上顎の裏に触れれば、熱さとくすぐったさに身が捩れて。心なしか、拍動が速まった。同時に下のほうにも血が巡る。身体は温まるどころかすっかり熱にうかされて汗まで滲んで、意識が微妙にふわふわして、ちょっと段々ヘンな解放感っつーか昂揚感っつーかああなんかもう。 「……物欲しそうな顔してますよ」 してねえ、と指を食まされたまま漏らした声がぐずぐずに蕩けていて、思わず自分でも鳥肌が立った。案の定天蓬は調子に乗って、暫く休んでいた左手でジッパーをまさぐりだす。止める間もなくさっさと引っ張り出された中身に、天蓬のがぺったり擦り寄ってくる。 「つッ!」 いきなり指を引っこ抜かれた口から、思わず声が出た。冷たい。確かに勃っちゃいる筈なのに、有り得ないほど冷たく感じる。こっちが相当熱いせいだ。更にふたつの温度差を埋めるように、唾液でぬるついた右手の指が纏いつく。重なったモノの冷たさと扱く指先の濡れた温さが言いようもなく気持ちよくて、意識が持っていかれる。 ――熱い。身体の中も外も、上も下も、こぼれる息も、瞼の奥も、嘘みたいに、あつい。 滲んだ視界の中で天蓬が、グラスの残りを一口煽った。そのまま酒を含んだ唇が、だらしなく開いた唇を塞ぐ。 指とは違う柔らかい表面と、喉の奥から僅かに漏れてくる息遣い。そんな懐かしく恋しい筈の感触を、氾濫した熱い液がぐちゃぐちゃに掻き乱して。その海で溺れかけた魚みたいに、救いを求めて舌が絡みつく。 「……ん、っ」 呻くような声と共に、乗っかった腰が、肩に縋りつく左手が、強張って震える。貼りついた部分がどくんと脈打って、弾けるのが分かった。それでも熱の中で縺れた舌と唇は離れない。そこで深く繋がったままで、俺にもイってほしいみたいに。 舌を吸う喉と扱く掌が窄まって締めつけられると、身体が大きく引き攣って。喉から勝手にあふれる声が、天蓬の中に吸い込まれて。この後はよく知っている。真っ逆様に墜ちるみたいにくらくらして、意識が徐々に霞みだして――なにもかも、真っ白に爆ぜる。 「…………は、ぁ……」 どちらからとなく唇が離れても、吐息はまだ絡み合う。徐々に回復する視界の端に、いっとう目立つ色で汚れたベストが映った瞬間。何もかもを、諦めた。 その軌跡を見やりつつ、天蓬が緩んだベルトに改めて手をかけてくる。快感と微酔に濡れた眼で「したい」と切に訴えて。 「……ヤ、だ」 「もう仕事にならないでしょう? ゆっくり休みましょうよ」 「誰のせいだ、っつーの……つーか、休ませる気ねーだろ」 申し訳程度の答えもなく、また酒のほうへ手が伸ばされる。 「おい、」 「分かってますよ。あんまり酔ったら勃たなくなっちゃいますし」 掴みとったボトルの蓋を閉めながら、天蓬は口角を上げて不敵に笑んだ。いい具合に赤らんだ頬のせいで、一見邪悪な顔には見えないのがまた困る。 「喉を痛めたら悦い声も聞けなくなっちゃう」 「……お前な」 ボトルを置いた掌が、顎の下に添えられた。今度は何だと反射的に身構えるが、天蓬はただじっと考え込むように、据わった目で唇を凝視している。 「……くちびるは、」 軽く顎を持ち上げられ、親指がそっと下唇に重ねられて。 「女性器を模したものだとも言われるんです。当たり前に見て、触れて、」 ゆるりと右端から左端へ、紅を塗るかのごとく丁寧になぞられて。 「それだけで欲情できるように」 ふわりと一瞬手放されたのち、ど真ん中に中指がうずめられた。 もし本当なら男も赤いのは不思議なんですけどね、と何気ない調子で天蓬は付け足す。 「ねぇ、ところで。口寂しくないですか?」 「…………」 質問に込められた悪意を理解しながら、悔しいことに否定もできない。 実はさっきからずっと、なんとはなしに気がかりだった。結構な時間指とか舌で弄られっぱなしだったせいだ。まだ中に何か入ったままのような、あるべきものを欠いてしまったような、落ち着かない感じがして。 ――でもなんつーか、この流れで認めちまったらそれは。暗にどころかダイレクトに挿れてくださいって強請ってるようなモンじゃねーのか。 「捲簾?」 俺の答えを待ちながら、割り入ろうかどうか迷うような調子で、指が閉じた唇の間をうろうろする。ああもう、いい加減鬱陶しい。 「わ、」 耐えかねて見下ろす天蓬の頬に手を伸ばすと、くりっとした目が一瞬見開かれた。どうも、自分が楽しく責めている最中に不意打ちで触られると素で驚くらしい。そういうところだけは若干可愛げがあるというか、妙にエロいというか。 改めて視線を合わせると、天蓬は根負けしたように悪戯な指を離し、素直に白い頬を寄せてくる。飢え渇いた唇の上に、漸くその唇が触れようとして―― かしゃん。 扉の向こうで何かが落ちる音がした。 「あ」 僅かに開いた隙間から人の声が漏れる。 「あ」 「あっ」 天蓬に一拍遅れて俺も間抜けな声を出した。ソファに預けた頭を捻り、ドアのほうへ向き直る。 まさか。まさか今日こんな時間のこんな所に天蓬以外の人間が現れる筈は。 「…………八、戒?」 「……えっと、こんばんは」 ついさっき取り落としたらしい傘を拾った八戒が、恐る恐るドアを開けて覗き込む。 人好きのする爽やかな笑みをキメてはいるが、額には見たこともないほどの冷や汗が浮かんでいた。明らかに、何かを、察されている。少なくともプロレスごっこの真っ最中だとは思っていらっしゃらない。確実に。 「……お前今日は用事で入れない、って」 「あ、急遽暇になったので一応手伝いに……って、先程メールしたんですが、その」 ちら、と八戒は視線を滑らせるも、振り向いていた従兄と目が合うと気まずそうにまた俺を見た。大抵のことには平然としている天蓬も流石に当惑したのか、へらへら笑うことも八戒をからかうこともせず無表情に座り込んでいる。少しでも動かれるとソファの肘掛け越しにまずいモノを御開帳してしまいそうな角度なので是非そのまま大人しくしていて戴きたい。 「……どの辺から見てた?」 「み、見てたというかサウンドオンリーですけど」 そこでまた目を逸らして俯いたかと思うと、頬を薄く染めた八戒は申し訳なさそうに口許を押さえて呟いた。 「……割と、初めから」 「…………」 ここ数十分の醜態を思い返して頭痛に襲われた。ついでに身体からみるみる力が抜ける。 めちゃくちゃ誤解されそうなしゃぶりつく音とか会話とか。なんだかんだ言いながら悦がって出しちゃってた変な声とか。恥ずかしいなんてモンじゃないあれやこれやの一部始終を、よりにもよって俺はこの――天蓬の従弟かつ悟浄の友人かつ自分の優秀な後輩に。 「……八戒」 「……はい」 「…………臨時休業だ」 それだけ言って、俺はソファの上で気を失ったらしい。 こうして最も望ましくない形で八戒にバレた俺達の関係は、当然悟浄にも察されることとなり。 結局殆ど中身の減っていない例の酒瓶は、まだあの部屋の奥に置いてあるという。 2014-06-14 |