布団に埋もれた透けそうな頬に、うっすらと涙の跡。 まだ暫く戻れないらしい親父が送ってきたエアメールの封筒は、寝息を立てる「友人」の下敷きになっていた。 毎回わざわざ別に送られてくる手紙には一体、どんなに涙を誘うロマンチックな愛の言葉が並んでるんだか。なんて、どうせ他愛もないことだ。ちゃんと飯食えとか風呂入れとか部屋散らかすなとか。うるさいなぁとか呟いて、唇を噛みながら俯くその姿が目に浮かぶ。 「っと、」 知らず知らず封筒に伸びた手が、がしっと引っ掴まれた。うっすらと居候の瞼が開き、不機嫌そうに眉間に皺が寄る。 「起きてたのかよ」 「……」 「……あーはいはい、燃料切れ?」 小さく頷いて首が揺れた。 「ちゃんと風呂入ってんだろーな」 「仕事が詰まってなければ入りますよ。ていうか入らされます」 「八戒にか」 「意外としつこいんだもんなあ、あの若旦那」 ぶつくさ言いながらも天蓬の手はしっかりと、しゃがんだ俺の腕を引いている。抵抗せず大人しく布団の中に引きずりこまれてやると、慣れた動作でさっさとマウントポジションをとられ、血色の悪い唇が早々と鎖骨の上を食み始めた。だらしなく纏った着流しの前が乱れ、薄い胸がちらりと覗く。 「そーんなに親父に似てるかしら俺」 こうやって何日かおきに、かわりに抱きたくなるほどに。 「少なくともこんなにぐうたらでも色狂いでもありませんね」 「アンタが言うかよ……ッ、あ」 小さめの掌の細長い指があっという間に胸へ、腋へ、脇腹へと滑って、焦れったく腰周りを這いだした。 「んー、てか倫理的にいーんですかー、親友のカワイイ息子さんをキズモノにしてー」 「中坊の頃から遊び惚けてたくせして、今さら何純情ぶってんだか」 事実だから言い返しようもない。口答えのかわりに、ずれた襟を肩口まで引き摺り下ろしてやる。剥いたところで柔らかいものなんてくっついちゃいないのに、手触りと色とをひとたび知れば震いつきたくなるような肌。しかし実際にあれこれできるほど主導権を握れた覚えなんてない。そのうえ厄介なことに自分の身体は、この身体に「される」ことに至上の快感を見出しかけている。 「そんで今日はどんなすんっっごいド変態プレイをご所望なんですか、せんせー?」 「普通でいいです」 「あ、そ」 俺が一番苦手なやつだ。 間が悪くなってふと部屋のほうに目を向けたら、一昨日に見たときよりもかなり悲惨だった。そこに無造作に積み上げられた本なんか、ちょっと揺れただけで布団めがけて倒れてきそうだ。これならまだ俺の部屋のほうがマシなんじゃ。 「てん、」 言いかけてやっぱりやめた。「捲簾」の部屋でないと駄目なんだろ、多分。 まあ平日の昼下がりに暢暢と家に居座ってるのはバイトがない日の俺と、ひきこもりの小説書きと、縁側で盆栽だか俳句だかに熱中するクソジジイぐらいだ。ドコでナニしてようが本が轟音立てて倒れようが見つかりようもない。だからこんな爛れた関係がひと月近く続いてるわけで。 「っ……」 布団の中でタンクトップが捲り上がり、天蓬の舌やら指やらが胸の上を擽る。そんな懇切丁寧に野郎の乳首なんか吸って楽しいか。さっさとイかされてワケ分かんなくなっちまった方がいっそ気持ちいいのに、これだから「普通」が一番嫌なんだっての。 文句を噛み殺しつつ、胸元で揺れる黒髪を所在ない指で梳く。喉を撫でられた猫みたいに、天蓬が気持ち良さそうな声で鳴いた。妙に色っぽいため息が内側に籠った空気を震わせる。 ――あ、もしかして勘づかれてました? 結婚する気配も親父の部屋から離れる気配も全くない天蓬を、怪しいと思わない訳がない。だから本人の口からちゃんと聞いた時それほど驚きもしなかった。 ――別にね、なんにも後悔なんてしてないんです。 煙草を咥えつつそう言った口許はだらしなく緩んでいた割に、瞳の奥はどう見たって穏やかじゃなくて。 ――今更どうこうしたいわけでもなくて。いいひとに出逢って、こんな倖せな家庭を築いたんですし。 言い訳がましく同じようなことを二回も三回も繰り返すのが、どうもしんどくて見てらんねえ感じだったから。 ――とりあえず俺でも摂取しとく? 軽い気持ちでとんでもねえことを提案して、何かに気づいて後悔したのは布団の中で直に尻を引っ掴まれたやっとそのとき。 ――捲簾。 俺の背中を探りながら繰り返しそう呼んだ掠れ声が、聞いたこともないほど必死で雄っぽかった。 そんでまあ、性質の悪いことに。そんなぶっ飛んだ状況が身体中に走る新鮮な快感と合わさって、ひどく非日常的でクセになった。 多分、目標もなくバイトや家の手伝いに明け暮れる退屈な日常に刺激が欲しかったんだろう。心臓のあたりにビリビリ電流が走るぐらいのキツイやつが。 ビリビリとまでは行かなくても、天蓬みたいな綺麗な――ぱっと見は薄汚いけど二周り近く上とは思えないほど若いし、ハクセキなんて表現がぴったりくるほど肌が白い――ヒトに変なことされるのは不思議と興奮するし、人肌恋しいこの時期の身体にはかなり効く。向こうだって「俺」を好きでヤってるわけじゃないし縺れも後腐れもない。部屋を出れば全部サクッとリセットして、お互い何食わぬ顔で同じ食卓を囲う。飽きればすぐにやめられるような、テキトーな関係。暇潰しの火遊びには最適だ。 「つッ!」 突然ジッパーの中身をきつく握られて、意識が目の前に引き戻された。 「上の空だったでしょう。……手がお留守ですよ」 暫く布の上から背骨を辿っていた掌が天蓬に引かれ、胸へと誘い込まれた。陰になって色は明瞭に見えなくとも、掌にうつってくる温度から想像できる。熱に弱そうな生白い皮膚が、すっかり興奮して赤らんでいるのを。ちゃんと脱がす前から火照るコイツこそ年甲斐もなく相当な色狂いだ。熟女モノのAVでも観てる気分になる。 伸ばした脚を軽く曲げてみれば、案の定膝頭に堅いものがぶつかった。そのままぐりぐり動かしてやると、小刻みに声を洩らしながら腰がびくびくと揺れ動く。この感触じゃ相変わらず下に何も履いていないらしい。面倒なのか臨戦体勢なのか、これが正しい着方とでも言うつもりか。 中途半端な俺を差し置いてあっちが先走っている時にされることは、もうなんとなく想像がつく。物欲しそうな指が、唇にそっと触れて。それからいかにも愛撫という調子で、端から端へ繰り返し滑る。前と同じだ。何も聞かずに乗っかる痩身ごと体を横倒しにして、頭を布団の中に潜らせた。乱れた裾をかきわけて、細い腿を指でなぞりながらそこに舌を遣うと、一際高い啼き声が上がる。慣れた苦味が口の中に広がるまで幾許もなかった。 とっとと飲み込んでから蒸されて熱い顔を外に出すと、余韻に濡れる瞳がじっと俺を見た。息をあげ、珍しく困ったように眉を軽く八の字に寄せている。 「……キスが、したかっただけなんですけど」 「え、」 らしくないことを言うもんだから思わず間抜けな声が出た。その隙に緩んだ口許を拭われる。離れていく指先についた液体が視界に入ったとき、我に返って一層顔が熱くなった。汚れた指を舐め上げた天蓬のほうは、ふと悪戯を思いついた子供みたいに口角を上げた。 「もしかして、そんなに早く欲しかったんですか? やらしい子ですねぇ」 「なッッ……テメエが紛らわしいコトすっからだろーが犯すぞ!」 「あーはいはい」 まるで聞いちゃいねえ天蓬は掴みかかった俺を受け流し、首元を捉えてそれとなく撫で始めた。項から触れた冷たい指が髪に差し込まれ、緩慢に毛先まで滑っていく。 どうもおかしい。わざわざキスなんてせがむことも、こうやって長い髪をじっくり撫でることも、そもそもこんな至近距離で顔を突き合わせることも、今まで殆どなかった筈なのに。この部屋にあるのはそんな初々しい思春期のカップルみたいなクソ甘ったるい空気なんかじゃなく、暴力的とは言わないにしろ別に優しさもない、朦朧とした意識の中で誰かの代わりに何度もイかされるだけの生臭い空気じゃなかったか。だから素面じゃ絶対無理なアレやソレだって平気でやってこれたのに。 「な、ぁ」 変に穏やかに触れられているせいか、我ながら情けないふやけた声が出た。応えてぴたりと手の動きが止まる。 「……髪、邪魔ならとりあえず結ぶけど。親父に見えねえだろコレじゃ」 「はぁ」 何故か天蓬は何のこっちゃと言わんばかりのきょとんとした顔で固まり、やがて「ああ」と声を上げてまじまじと俺を見た。 「そもそもは捲簾に似てたからですけど、悟浄は悟浄で好きですよ」 「は?」 「若い子が可愛く感じるのってトシなのかなぁ」 参っちゃうなぁ、と溜息が頬にかかる。もっと参っちゃうのはこっちのほうだ。真正面からいきなり恥ずかしげもなく好きですとか言われてどう反応しろってのか。 あくまで「代わり」だった筈だ。だから最中は好きに貪らせつつ視線を逸らすか目を瞑って、余計な言葉も発しないようにしてたのに。いやそれは別にこんな片想い拗らせた中年への思い遣りなんかじゃなくて、俺自身がプライドとか現実感とかその他諸々の感覚をギリギリのところで保つ為だったんだけども。 「……いつからそーゆー話になってんの」 「あぁ切欠はそうですね、初めての時ずぅぅっと声抑えてたくせにイく時だけ縋りついて『せんせぇ』って呼んでくれたでしょう。アレが背徳的で大変」 「オイ何だそれ知らねえ……」 ドスケベ大先生の妄想であってくれと願うが、正直溺れかけの自分の言動なんぞに全く自信はない。背中から変な汗がどっと噴き出てきた。 「……それに何回もしてると、どうしても悦がってる顔とか色々見ちゃうでしょう。可愛く思えてきたって、ふいに優しくしてあげたくなったって、致し方ないじゃないですか」 大真面目な声音でそんなことを言われて、呆れるやら恥ずかしいやらで今度こそ返す言葉を完全に失った。布団から暫く出している筈の顔が火を噴きそうなぐらい熱い。こんな展開いらなかったのに。 ああ、でもこれで一旦親父への熱が冷めたんだとしたら、無駄にややこしくなることは防げそうだ。考えようによっちゃ都合もいいか。 「親子丼でいただければ言うことないんですけどねぇ」 この上なくややこしくなってんじゃねえか。 「まあ、ちょっとレヴェルの高い欲求は紙の上で満たすとして。とにかく暫くは若い貴方からたっぷり搾り取らせて戴きますが」 「…………ズルくねーっすか、なんか色々」 「大人は得てして狡いものです」 こんなときばかり平然と大人ぶるダメ大人から、逃れようとする気力さえない俺も相当ダメなのかもしれない。なんて天井に向かってでかく溜息をついたら、徐に起き上がった天蓬が改めてよいしょと覆い被さってきた。ぱさり、と肩まで伸びた髪の先がこぼれて頬に触れ、視線が真っ直ぐに俺を射抜く。 「キスしていいですか」 なんで訊くんだよ。なんで今まで断りもなく縛り上げたり無機物突っ込んだりしてやがったクセに改めてそんなこと訊くんだよ。どう返せばいいんだよこっちは。 「っむ、」 と思ったら俺の答えなんて聞く気はさらさら無かったらしい。 かさかさした唇から、やわくて生ぬるい舌が這い出てくる。指は首筋を這い回り、また項から乱れた髪の合間に潜っていく。離れた唇が濡れたままするりと耳元に移る。艶のある声が吐息混じりに妖しく嗤う。 「……改めて宣言したほうが良いですかね。イヤになっちゃうぐらい可愛がってあげますよ、『悟浄』」 その全部が合わさって、激流になって、身体中に行き渡って。 心臓のあたりがビリビリした。 2014-03-13 |